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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アリエル ( ''Ariel'' ) は、かつてイギリスに存在したオートバイのメーカーおよびブランドである。イングランドのバーミンガム郊外のボーンブルックに本拠を置き、一時期は4輪車も製造していた。 == 歴史 == アリエルの名前は、1947年に馬車に取り付けるために考案された、ごく初期のタイプの空気入りタイヤ付き車輪に遡る。これは事業として成功を得ることはできなかったが、1870年、ジェームズ・スターレーとウィリアム・ヒルマンによってワイヤースポークホイールが発明されて軽量な自転車を造ることが可能になり、彼らはこれに「アリエル」の名前をつけた〔British motorcycle manufacturers - A (2010年9月1日閲覧)〕。アリエルとは、シェイクスピアの戯曲などに登場する空気の精霊の名前である〔De Cet, Mirco (2005). Quentin Daniel. ed (in English). The Complete Encyclopedia of Classic Motorcycles. Rebo International. ISBN 978-0641782244〕。やがてアリエルは彼らがペニー・ファージング型自転車とミシンを製造するために設立した工場の名前となった。 1885年、ジェームズ・スターレーの甥であるジョン・ケンプ・スターレーによってローバー安全型自転車(前後ほぼ同じ大きさの車輪を持ち、チェーンによる後輪駆動の、今日のスタンダードとなっているデザインの自転車)が発明されると従来のペニー・ファージング型自転車は安全型自転車に取って代わられ、同時にアリエルの名前も忘れられていった。 しかし1896年に彼らの会社はウェストウッド・マニュファクチュアリング社 ( ''Westwood Manufacturing'' ) と合併し、車体の後部に2.25馬力のドディオン ( '':en:De Dion-Bouton'' ) 製エンジンを積んだ三輪車の製造を始めた。これがアリエルの最初のエンジン付きの乗り物である。この三輪車が多く生産された後、ヒルマンはアリエルを去ってプリメア・モーターサイクル ( '':en:Premier Motorcycles'' ) を設立した。〔ヒューゴ・ウィルソン『モーターサイクル名鑑』(1997年、世界文化社)ISBN 4-418-97201-3(p.213)〕。 1902年、アリエルはチャールズ・サングスターがオーナーを務めるコンポーネンツ社 ( ''Components Ltd.'' ) によって買収され、オートバイと4輪車の生産を始めた。第一次世界大戦の勃発によって工場は一時閉鎖に追い込まれたが、戦争が終わった1918年、アリエルはチャールズの息子であるジャック・サングスター ( '':en:Jack Sangster'' ) によってオートバイの生産を再開し、4馬力のホワイト&ポップエンジン ( '':en:White and Poppe'' ) によって成功を収める〔。また、ジャックは元JAプレストウィッチ社 ( '':en:JA Prestwich Industries'' ) のデザイナーであるヴァル・ページ ( '':en:Val Page'' ) を説得して会社に迎え入れ、オートバイのラインナップを広げた。1926年にはアリエルは4輪車の製造から手を引き、オートバイの生産に専念するようになる。 しかし、1911年頃から1930年代初頭にかけてコンポーネンツ社は財政的に苦しい状況が続いており、とうとう1932年に破産してしまう。ジャック・サングスターはコンポーネンツ社からアリエルの支配権を格安で買い取り、バーミンガムに新しい工場を建設して社名をアリエル・モータース ( ''Ariel Motors'' ) と変えた〔The SUPERSHOW Motorcycle Collection - Motorcycles of Great Britian (2010年9月1日閲覧)〕。新工場ではエドワード・ターナー ( '':en:Edward Turner'' ) の設計によるスクエアフォア ( '':en:Ariel Square Four'' ) やレッドハンター ( '':en:Ariel Red Hunter'' ) といった後にアリエルを代表するモデルとなるオートバイを製造し、第二次世界大戦中は軍用オートバイを生産した〔。 ジャック・サングスターは1936年にトライアンフの2輪車部門を買収していたが、1944年にアリエルを、1951年にはトライアンフをバーミンガム・スモール・アームズ(BSA )に売却し、2社はBSAグループの一員となった〔。サングスターはBSAの経営陣に加わり、やがて周囲の信任を得て1956年にそれまでのバーナード・ドッカー卿に代わってBSAの会長職に就くと、すぐにエドワード・ターナーをグループの自動車部門(BSAモーターサイクル、アリエル、トライアンフ、デイムラー、タクシー車両の製造で知られるカーボディーズなどが含まれる)のトップに据えた〔Title: Thoroughbred & Classic Cars - May 1999, Article: Daimler's Queen of Excess, Author: Martin Buckley, Publisher: EMAP Automotive Ltd, Lynchwood, Peterborough, 1996-, pp103-106. ISSN 0143-7267〕。 1950年代後半からのオートバイ業界の不況に対してアリエルはラインナップを絞ることなどで対応したが、1967年にはオートバイ製造を中止した〔。1970年にBSAによってアリエルの名を冠したモデルが生産されたが、短命に終わった。 1991年に設立されたスポーツカーメーカーの ''Solocrest Ltd.'' が2001年に ''Ariel Ltd.'' と社名を変更したことによりアリエルの名が復活したが、上記のアリエル社とは直接の繋がりはない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アリエル (オートバイ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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